2014年11月08日

南京日記2014.11 その4 ピンダ!

11.7



夜に入って小雨。

朝は窓に露がついていたので結構冷え込んでいたか。



日課になっている『駅2014』午後の稽古。

今日は夕方は結城座、結城孫三郎さんと数馬さんの一般公開のデモンストレーション
あり。

そして夜が、昆劇院の若手による新作『319-回首紫禁城』(何回かやっている。
以前にも1度拝見)。

会場はすべて昆劇院内の劇場「蘭苑劇場」。



昼飯は行き路にラーメンで、晩飯は帰り道に青菜牛肉かけごはん。

それぞれ間口2間あるかという小さな食堂。

合わせて20元ほど。1元は17円ほどと聞いているので、今日の食費は340円く
らい。

あ、それに水のペットボトル一つと「雪花ビール」1本たして、10元ほど。

食堂でビール頼むときは、「ピンダ!」と頼むこと。

「冷えたやつ!」



昆劇院の若手は、この前も横浜・バンカートでのダニー・ユンさん(香港の演出家・
私も『霊戯』で出ました)の作品に出演していたが、

もしコメントを求められたら、

「すばらしい花が咲きましたね。この若手たちをトレードして連れて帰りたいです。

こういう本当に育って行こうとする若手を大きな目で見て育てている南京昆劇院と南
京という地に敬意を表します。

日本人として、この南京でこの人たちと同じ舞台に立てるという天の導きに感謝しま
す。」と。



佐藤信さんは彼らにも率直な意見を。

基本的にはすごくよくなったということと、戯曲などいくつかもう一つ工夫すれば
もっとよくなるのではないかという提案。

こういう師を持つことの幸せ。

ちなみに『仏原』にもいらしていただけます。



『駅2014』3部作も皆さん素晴しいので、わたしも一緒に乗せてください。



そして、明日もどこか場所を見つけて『仏原』やります。



そう、今日午前中は『長崎の聖母』のニューヨークバージョン台本の整理を少ししま
した。

この公演の詳細も今決まってきています。




posted by しみかん at 00:46| 日記

2014年11月06日

南京日記2014.11 その3 『夏の花』


11.6

午前9時、晴れ。



夜中にちょっとひどい夢を見て、しかたなく、おしっこに起きた(おしっこに行きた
いのが原因か?まあ、のども乾いていたし)。

『大原御幸』などの尼姿で使う「花帽子」を修君に着けようとして、なかなか着かな
いのだ。

決めたと思ったら、またずれていたり留まっていなかったり・・・。



さっき起きる前には、なんだか謡っているのに、何を謡っているのかわからず、しか
も相当眠くて瞼がくっつき、扇を持ったまま前につんのめりそうになって、そうする
と急にそれが終わって、どこかの座敷での謡の会らしい。そうこうするうちに、それ
が『姨捨』だったらしいことに気がつくが、謡会は解散になって、帰り路、行き止ま
りに突き当たって、道を探せば、駅への道は遠く上り路になって・・・。



快晴。

昨日も朝は晴れていたのに、午後は雨が降って、「つ〜めた〜い雨が 今日はこ〜こ
ろにし〜みる」傘がない状態だった。



昨日は私の班は稽古がなく、他のグループの稽古を見学。

同じく佐藤信さん演出の、結城孫三郎さんと昆劇院の道化役・銭偉君の『駅2014』。

一昨日が初めてで、昨日の2時間の稽古でどんどん進む。

二人の酔っ払い。一人は人形で、もしかしたら3人の酔っ払い。

演出家の素晴らしい指示。

「夢」の展開。



床屋にも行きました。

『風の又三郎』の時、共演の松島誠さんにバリカンで坊主にしてもらったのだけれ
ど、その松島さんも今回ご自身の作品で参加。

私の頭を見て「ちょっと伸びましたね、床屋に行きましょうか。私もやってもらいた
いし、ホテルのそばにあったでしょう。」と誘ってくれた。

20元。

今、この前の鏡を見ると、少し虎のようでもあるが、わざとかしらん。

南京のあんちゃん。



昨日の夜は南京師範大学での佐藤信さんの講演。

孫三郎さんたちと連れて行ってもらってお聞きする。

「伝統と現代」。

ご自身関わっている演劇のことを要領よく述べられる。

私の位置も見えてくる感じがしてありがたい。

最後に質問に答えて「演劇は自由だ」とおっしゃる。

どこかにまとめが出るかもしれない。



ここはインターネット接続はしているのだけれど、グーグルはつながらない。

響の会サイトはつながっても、しみかんサイトにはつながらない。

このしみかん日記にはつながる。

なかなか書かずに、ずいぶん間をおいているなあ。

以前のを見ると広島の記事がある。

今回持ってきた文庫本で、ちょうど原民喜の『夏の花』を読んだ。

中国の検索サイトを見てみると、『原民喜』は出ている。代表作として『夏天的
花』。



手帳に、この春ヒロシマに行ったときに書き写した原民喜の碑銘があるので、ここに
書いてみたい。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

遠き日の石に刻み

砂に影おち

崩れ墜つ

天地のまなか

一輪の花の幻



原民喜詩碑の記(碑の裏面)

原民喜は人がら清純沈鬱に流俗と遭ひ難い詩人であった。一九五一年三月一三日夜、
東京都西郊の鉄路に枕して濁世を去った。蓋しその主の孤独と敗戦国の塵勞とは彼の
如き霊の能く忍ぶところでは無かった。遺書一七通、先ず年来の友情を喜びさてさり
げなく永別を告げんと記し、うち二通の文尾に書き添えた短詩「碑銘」は思を最後の
一瞬に馳せて亡妻への追慕と故郷壊滅の日を記した力作「夏の花」に寄する矜持と又
啼泣とを「一輪の花の幻」の一句に秘めて四十六年の短生涯を自ら慰め弔うもの、辞
は簡に沈痛の情は深い。遺友等ために相謀り地を故郷に相し銘記せしめて之を永く天
地の間に留めた。

一九五一年七月十三日夜 遺友中の老人 佐藤寿元記す 

碑 設計谷口吉郎

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



碑は、原爆ドウムの傍らにあり。

元の地名は猿楽町なり。



榮夫先生から原民喜氏のことを伺っておけばよかった。



さて、出発して、昆劇院への路中(5分で着くけれど)どこかで朝食兼昼食をとり、
12時よりの稽古へ、いざ!




posted by しみかん at 11:31| 日記

2014年11月04日

南京日記2014.11 その2

この部屋は西側に面していて、赤く上った朝日が向こうのビルの窓に反射している。

南京二日目の朝が明けて、何の音だと思ったら鳥の声も。

晴れ。



今年2014は上海で迎えた。

ずいぶん昔のことのような、まだ終わっていないけれど、いろんなことをやった一年
だった。

南京・上海での『駅2013』、プランb での田中泯さんとの『カラダハコレカラダ』、
青山能楽フェスティバル、銕仙会能楽研修所30周年記念能初日の『朝長』、ポーラン
ドでのルブリン音楽祭・ザブジェ地下劇場公演、佐渡猿八折敷神社での文弥人形との
『中将姫』、8.8長崎・原爆爆心地での舞『地の心』、小池博史ブリッジプロジェク
ト『風の又三郎』、この南京朱鷺国際フェスティバル『駅2014』。

そして、銕仙会11月公演『仏原』。

もちろんいろんな能での地謡・後見。後見多いな。(後見は厳しい、けれど勉強に
なっているはず)

沖縄・東京の芸大などの集中講義や福島や清川村などでのワークショップ。



まだ一年を振り返るには早いけれど、ふと思う。

この前法政の進歩慈雨有無で、(お、シンポジウム!)1971年、



ここで日本から電話あり、しばらく音信していなかった人から。

よかった、手術をされたらしい。

今度一献。



1971年は、銕仙会で『昭君』を演出を見直しての上演がされた年で、寿夫・榮夫・静
夫・閑・万之丞・万作氏たちが青年座の方々と「冥の会」を始め、第一回公演に『オ
イディプース』を上演した年。

そして私が早稲田に入学して、それらに出会った年。

先日の浅井さんの姨捨の時のパンフレットに、野村萬先生が「冥の会」の『山月記』
のことを書いておられた。

ちょうどその朝、その『山月記』の観世寿夫と野村万之丞(現萬)のお二人の舞台を
思い出していた。

(このまま書くと長くなるのでまったく途中省略して)



やっぱり「二曲三体」!

舞歌の二曲、老・女・男の三体。

古典は基本に向かって進むのがよし。

世阿弥さん!



ああ、しきりに鳥が鳴く。

沖縄でも似た声を聴くね。

今回の『駅2014』では、世阿弥の佐渡での『金島書』の中から、『時鳥』の一部分を
謡う。

「鳴けば聞く、聞けば都の恋しさに…」





今日はどの様な一日が。

ああ、日記書かなくてもいいのにと思いながら、またやってしまった。

さあ、まず、足のテーピングから。



(携帯電話は通じます。FBはつながりません。)


posted by しみかん at 09:39| 日記

2014年11月03日

南京日記2014.11 その1


今年もまた南京へやってきた。

『南京朱鷺国際フェスティバル』

この南京昆劇院訪問もこれで4回目か。

去年は年末で大変寒かった。今年はまだコートなしで大丈夫だし、空気もまあどうに
か。



朝4時半に起きて羽田に向かい、エアーチャイナ、北京経由で、南京には夕方到着。

三つの京。

一行は、座・高円寺の佐藤信さんと、江戸糸あやつり人形結城座の結城孫三郎さんと
息子さんの数馬君、通訳の黒崎さんと小生の5名。

当初の予定では早速夜に稽古の予定だったが、変更になっていて、明日の朝10時から
全員(我ら一行のほか香港チーム、そして主催の南京チーム)で記者会見。

そのあと11時から私と徐思佳(愛称ジャジャ)の作品の稽古に。



信さんと孫三郎さんは同い年とか。長年の盟友。

お二人のお話を伺っていて、昔のお仕事を拝見したかったなあと。

観世榮夫の名前も出てくるし、これからこのツアーの中で色々伺えるだろう。

それだけでも貴重な。

それにしても私は現代劇を知らない。



今回の作品は佐藤信作・演出『駅2014』。

去年の作品も『駅』だったけどそれは2013。毎年の深化・進化・変貌。

おいおい中身は書いていきましょう。

それにしても60の手習い(自分がその年だという自覚がないのがまず遺憾だが、しか
たない)も毎年進化させていきたいもの。

まずはお休みなさい。

この部屋は風呂ないのでシャワーを浴びて寝ましょうわいの。

明日の劇場入り、楽しみで。






posted by しみかん at 23:54| 日記

2014年05月05日

「死の縁」の縁

もうずいぶん前のことのように感じられるけれど、銕仙会能楽研修所竣工30周年特別
公演第一日『朝長』のこと。

演能前に書こうと思っていて、後になってしまった。

後になってわかることもあるし。



国立能楽堂4月パンフレットの『鵜飼』の「鑑賞の手引き」の欄に、

村上湛氏が、「シテが前後別役の能は、世阿弥作に、『養老』『当麻』があり、

以後、元雅の『朝長』、信光の『船弁慶』などこの形式を効果的に活用した例が見ら
れます。」と書かれている。

『朝長』の作者については、例えば観世流の謡本には「世阿弥となっているが、それ
は違うだろう」と「作者不詳」とされ、

2012年発行の能楽大辞典では「作者については、元雅の説もあるが、未詳であ
る」とされている。

しかし、30周年記念公演二日目の『俊寛』の時に、西野春雄先生は、『朝長』も『俊
寛』も元雅作でよいのではないかとお話に。

さて「元雅説」は。



『朝長』は、美濃の国青墓で死んだ朝長の墓所で、縁のある人が行き逢い、共に弔う
シーンから始まる。

その『朝長』の初同(初めの地謡)



「死の縁の 所も逢ひに青墓の

 ところも逢いに青墓の

 跡の標か草の蔭の

 青野ヶ原は名のみして

 古葉のみの春草は

 さながら秋の朝茅原

荻の焼け原の跡までも

げに北邙の夕煙 一片の雲となり

消えし空は 色も形も

亡き後ぞ哀れなりける

亡き後ぞ哀れなりける」



この後、朝長の自害を看取ったシテー青墓の宿の女長者―が、その夜の有様を語り始
める。



「死の縁」という言葉は、元雅作が確実な『隅田川』(シテの「クドキ」)でも登場
する。



「今まではさりとも逢わんを頼みにこそ

 知らぬ東に下りたるに

 今はこの世に亡き跡の

 標ばかりを見る事よ

 さても無残や 死の縁とて

 生所を去って東のはての

 路の傍の土となりて

 春の草のみ生い茂りたる

 この下にこそあるらめや」



シテの母親が、ワキの語りで、自分の子供の死を知り、その墓の前に連れて行かれ
て、嘆くシーンでの言葉。

「死の縁」という言葉が、それぞれ効いている。



『朝長』の初同で出てきた「草」という言葉も、『隅田川』では、シテの母親が子供
の亡霊を見た後のラストシーンで効果的に使われている。



「互いに手に手を取り交わせば また

 消えきえとなり行けば

 いよいよ思いは真澄鏡

面影も幻も 見えつ隠れつするほどに

東雲の空もほのぼのと明け行けば 跡絶えて

我が子と見えしは 塚の上の草 茫々として

ただ標ばかりの浅茅が原と

なるこそ哀れなりけれ

なるこそ哀れなりけれ」



また、静かなシーンだけでなく、動きが強調されるシーンでともに〈下げ歌〉の静か
な中にかかっていく音曲的効果を効果的に使っている。



『朝長』シテの語りの後

「これを 最期のお言葉にて こときれさせ給へば

 義朝正清とりつきて 嘆かせ給ふ御有様は

 外の見る目も 哀れさを何時か忘れん」



『隅田川』シテの先ほどのクドキの後

「さりとては人々 この土をかへして今一度

この世の姿を 母に見せさせ給えや」



ただシテが立っている、あるいは座っているシーンでの無常観を感じさせる地謡の
「上歌」にも共通する要素がある。



始めに挙げた『朝長』の初同の「上歌」と、

『隅田川』の先ほどの掘り返してくれという激しい「下歌」の後の「上歌」



「残りても かひあるべきは空しくて

 かひあるべきは空しくて

 あるはかひなき帚木の

 見えつ 隠れつ 面影の

 定めなき世の習ひ

 人間愁いの花盛り

 無常の嵐 音添ひ

生死長夜の月の影

不定の雲 覆へり

げに目の前の浮世かな

げに目の前の浮世かな」



少ししか動かないそれぞれの曲のここの演戯は実にやりがいがある。

これこそ能でしかできないこと。



さて、元雅は自分が親よりも先に逝くと思っていたのだろうか。

そう、『朝長』ではシテが、『隅田川』ではワキが、人の死の至る最期を語る「語
り」という戯曲の構成でもこの二曲は一致する。



「人の死を語ることによって、死者と和解する」という、『朝長』の時の赤坂憲雄さ
んのお話し。

観世元雅は、それを願っていたのだろうか。



能役者は、死の語り部の役なんでしょうね。

何度でも、生まれて、死んで。
posted by しみかん at 22:50| 日記