2014年11月03日

南京日記2014.11 その1


今年もまた南京へやってきた。

『南京朱鷺国際フェスティバル』

この南京昆劇院訪問もこれで4回目か。

去年は年末で大変寒かった。今年はまだコートなしで大丈夫だし、空気もまあどうに
か。



朝4時半に起きて羽田に向かい、エアーチャイナ、北京経由で、南京には夕方到着。

三つの京。

一行は、座・高円寺の佐藤信さんと、江戸糸あやつり人形結城座の結城孫三郎さんと
息子さんの数馬君、通訳の黒崎さんと小生の5名。

当初の予定では早速夜に稽古の予定だったが、変更になっていて、明日の朝10時から
全員(我ら一行のほか香港チーム、そして主催の南京チーム)で記者会見。

そのあと11時から私と徐思佳(愛称ジャジャ)の作品の稽古に。



信さんと孫三郎さんは同い年とか。長年の盟友。

お二人のお話を伺っていて、昔のお仕事を拝見したかったなあと。

観世榮夫の名前も出てくるし、これからこのツアーの中で色々伺えるだろう。

それだけでも貴重な。

それにしても私は現代劇を知らない。



今回の作品は佐藤信作・演出『駅2014』。

去年の作品も『駅』だったけどそれは2013。毎年の深化・進化・変貌。

おいおい中身は書いていきましょう。

それにしても60の手習い(自分がその年だという自覚がないのがまず遺憾だが、しか
たない)も毎年進化させていきたいもの。

まずはお休みなさい。

この部屋は風呂ないのでシャワーを浴びて寝ましょうわいの。

明日の劇場入り、楽しみで。






posted by しみかん at 23:54| 日記

2014年05月05日

「死の縁」の縁

もうずいぶん前のことのように感じられるけれど、銕仙会能楽研修所竣工30周年特別
公演第一日『朝長』のこと。

演能前に書こうと思っていて、後になってしまった。

後になってわかることもあるし。



国立能楽堂4月パンフレットの『鵜飼』の「鑑賞の手引き」の欄に、

村上湛氏が、「シテが前後別役の能は、世阿弥作に、『養老』『当麻』があり、

以後、元雅の『朝長』、信光の『船弁慶』などこの形式を効果的に活用した例が見ら
れます。」と書かれている。

『朝長』の作者については、例えば観世流の謡本には「世阿弥となっているが、それ
は違うだろう」と「作者不詳」とされ、

2012年発行の能楽大辞典では「作者については、元雅の説もあるが、未詳であ
る」とされている。

しかし、30周年記念公演二日目の『俊寛』の時に、西野春雄先生は、『朝長』も『俊
寛』も元雅作でよいのではないかとお話に。

さて「元雅説」は。



『朝長』は、美濃の国青墓で死んだ朝長の墓所で、縁のある人が行き逢い、共に弔う
シーンから始まる。

その『朝長』の初同(初めの地謡)



「死の縁の 所も逢ひに青墓の

 ところも逢いに青墓の

 跡の標か草の蔭の

 青野ヶ原は名のみして

 古葉のみの春草は

 さながら秋の朝茅原

荻の焼け原の跡までも

げに北邙の夕煙 一片の雲となり

消えし空は 色も形も

亡き後ぞ哀れなりける

亡き後ぞ哀れなりける」



この後、朝長の自害を看取ったシテー青墓の宿の女長者―が、その夜の有様を語り始
める。



「死の縁」という言葉は、元雅作が確実な『隅田川』(シテの「クドキ」)でも登場
する。



「今まではさりとも逢わんを頼みにこそ

 知らぬ東に下りたるに

 今はこの世に亡き跡の

 標ばかりを見る事よ

 さても無残や 死の縁とて

 生所を去って東のはての

 路の傍の土となりて

 春の草のみ生い茂りたる

 この下にこそあるらめや」



シテの母親が、ワキの語りで、自分の子供の死を知り、その墓の前に連れて行かれ
て、嘆くシーンでの言葉。

「死の縁」という言葉が、それぞれ効いている。



『朝長』の初同で出てきた「草」という言葉も、『隅田川』では、シテの母親が子供
の亡霊を見た後のラストシーンで効果的に使われている。



「互いに手に手を取り交わせば また

 消えきえとなり行けば

 いよいよ思いは真澄鏡

面影も幻も 見えつ隠れつするほどに

東雲の空もほのぼのと明け行けば 跡絶えて

我が子と見えしは 塚の上の草 茫々として

ただ標ばかりの浅茅が原と

なるこそ哀れなりけれ

なるこそ哀れなりけれ」



また、静かなシーンだけでなく、動きが強調されるシーンでともに〈下げ歌〉の静か
な中にかかっていく音曲的効果を効果的に使っている。



『朝長』シテの語りの後

「これを 最期のお言葉にて こときれさせ給へば

 義朝正清とりつきて 嘆かせ給ふ御有様は

 外の見る目も 哀れさを何時か忘れん」



『隅田川』シテの先ほどのクドキの後

「さりとては人々 この土をかへして今一度

この世の姿を 母に見せさせ給えや」



ただシテが立っている、あるいは座っているシーンでの無常観を感じさせる地謡の
「上歌」にも共通する要素がある。



始めに挙げた『朝長』の初同の「上歌」と、

『隅田川』の先ほどの掘り返してくれという激しい「下歌」の後の「上歌」



「残りても かひあるべきは空しくて

 かひあるべきは空しくて

 あるはかひなき帚木の

 見えつ 隠れつ 面影の

 定めなき世の習ひ

 人間愁いの花盛り

 無常の嵐 音添ひ

生死長夜の月の影

不定の雲 覆へり

げに目の前の浮世かな

げに目の前の浮世かな」



少ししか動かないそれぞれの曲のここの演戯は実にやりがいがある。

これこそ能でしかできないこと。



さて、元雅は自分が親よりも先に逝くと思っていたのだろうか。

そう、『朝長』ではシテが、『隅田川』ではワキが、人の死の至る最期を語る「語
り」という戯曲の構成でもこの二曲は一致する。



「人の死を語ることによって、死者と和解する」という、『朝長』の時の赤坂憲雄さ
んのお話し。

観世元雅は、それを願っていたのだろうか。



能役者は、死の語り部の役なんでしょうね。

何度でも、生まれて、死んで。
posted by しみかん at 22:50| 日記

2014年04月02日

広島の猿楽町の由来とCG

winmail.dat
去年夏に書き始めてそのままになっていた以下の文章。途中で終わっているけれど、
載せてみようか。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
+++++++++

広島の原爆資料館に、8月6日から何日かのうちに全員亡くなった広島二中一年生の遺
品の展示がある。

谷口勲君は「だんだん近くなってきた。」と言い、堀弘明君は「僕はまだ生きとるの
ですか?」と言ってなくなっていったらしい。

広島テレビが作った『碑』に詳しくあるのだろう。



遺品などの辺の音声ガイドは吉永小百合さんが。

うーん、すこし、そっちに流れているか。

しかし、なんともハンカチが必要。



国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。

遺影コーナーで広島二中で級長だった「土谷杏三」君の遺影を見る。

新作能『長崎の聖母」を応援してくれている長崎の土谷さんの義兄。

土谷君たちは、現在平和公園になっている一角で、建物疎開の作業に動員されていた
のだ。



「平和記念公園周辺の被爆前の街並み」の中の写真の中の一枚に「猿楽町 廣島寫眞
館前での新年の記念撮影 撮影松本若次」あり。



『猿楽町復元CG 』はここのブースできることができる。

2分53秒しかないけれど、音声もないけれど、人の姿もないけれど・・・。

見に行ってください。



他に映像は、例えば戦後すぐに米軍が空中撮影したものが、それぞれ短いものだけれ
どいくつもあります。

猿楽町の廃墟も。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
+++++++++



さて、今度の日曜日からまた広島・長崎への「巡礼」に出る。

長崎では『長崎の聖母』ニューヨーク公演のプレスリリースあるかも。

両爆心地に立って、また、考える。

猿楽町の由来は、もう一度広島の図書館で調べなければ。

今日はとりあえずこれにて。




posted by しみかん at 22:40| 日記

2014年01月05日

しみかんの2013・14南京・上海日記その5


さて、なんだかんだするうちについに最終日を迎えてしまったようだ。

曜日もわからないけれど、6公演目。

まことに申し訳ないけれど、ようやく内容が体で理解できるようになって、もう終わってしまうのかという感あり。



今回の『朱鷺フェスティバル 一卓二槣2014』の5作品のうちの私の出た佐藤信作『駅2013』。

私と徐思佳が、謡い、歌い、舞った作中の詩は、



『長相思』    納蘭性徳



山一程

水一程

身は楡関(ゆかん)の那畔(かなた)に向かって行く

夜は深し 千帳の灯



風一更

雪一更

聒しさ(かまびすしさ)は郷心を砕いて 夢ならず

故園に此の声無し



*楡関=山海関  *故園=故郷

*納蘭性徳(1655~1685)清朝康熙帝に一等侍衛として仕えた。名利に淡く、友情篤く、特に詞に長じた。この詩は康熙21年(1682)作。康熙帝に扈
従して山海関を出た時の作。





ここまで朝に書いて、市内見物(田子坊という古い街路)に出かけて、公演すんで、会場での打ち上げすんで帰ってきて、ホテルのロビー。

0:18。

もう灯も大方きえて、熱帯魚の水槽のコンプレッサーの音だけがしている。

守衛さんもソファーで目をつむっている。フロントの男の人もウトウト。

真夜中の「世和酒店」。



後発部隊帰ってきて、部屋飲みに誘われ、香港チームの347号室へ。

では中断して。

そう、今日の舞台(ようやくできた部分あり、まことに「一期一会」!)報告したいけれど、では、これはこれで送って、後はまた「その後」として総括を書きましょ
う。

そして、明日は7時出発なので、荷物作らなくてはならない・・・。



しかし、この『朱鷺フェスティバル』、アジアの文化の交流に、そして伝統芸能の継承について、とても意味のあるフェスティバル。

まことに微力だけれど、ひろめなくては。



みなさんに、謝謝!多謝!


posted by しみかん at 02:00| 日記

2014年01月01日

しみかんの2013・14南京上海日記その4 新年好!

新年好!

 

上海の新年が開けました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

一昨日、南京からバス移動。

途中2回のトイレ休憩、高速道路4時間、市内に入って1時間。

最高速度120キロの高速道路ほとんどまっすぐと言ってもいいかな。

大きなカーブや、坂なく、まことに大陸なり。

バスも飛ばす飛ばす。

昆劇のメンバーは喋る喋る。

特に女の子たちは蘇州語らしいが、ずっと劇が続いているよう。

両側の並木がびっしり植えられていて、景色はよくわからず、私は唄のような会話を聞きながら、ひたすら眠る眠る。

サービスエリアでは、おでん食べたり、粽食べたり…。

 

昨日は午後リハーサル(稽古)。

会場は上海当代芸術博物館。

東京の現代美術館を大きくしたようなところで、万博会場の一角?にあり、なかなか面白い展示あり。

やはり昔は工場だったようだ。

その中の小劇場。

南京の昆劇院の劇場と違って、暖房が利いている。

額縁でなく、ワンフロアー。演出家からいくつかの注意点あり。

徐思佳との舞も少し長めに。

みなさんも言ってくれるけれど、なんか不思議に合ってきた感あり。

 

5作品のうちトップバッターでのリハーサルだったので、割合早く解放されて(予定の時間など随時決まっていく)、

ホテルにいったん帰り、5時出発で信さんに上海の中心街を案内していただく。

表の道も裏道も、結構歩いた。

 

まず地下鉄、「西蔵南路駅」から、「大世界駅」まで。

満員! 必死で乗って、必死に降りなくては。

「大世界」交差点から、昔の煉瓦作りの建物が復元されて使っている「新天地」をまず歩き、

方向戻って、「外灘」という「黄浦江」のほとりの繁華街へ。

すごい人!

警官に「武警」!もたくさん並んで交通規制。

だれか要人が来るのか? 花火が上がるのか?

若い人が続々つめかける、どうもカウントダウンのイヴェントがあるらしい?

 

結局「外白渡橋」を渡って、「かもめ食堂」で、川を見ながら食事をして、

なおなおすごい若い人の人波(70歳の信さんが「おじいさんはいないな。」と)をかき分けかき分け帰る。

タクシーがつかまらないので、結局「大世界駅」まで戻ったら、「没有!」、終電終わっちゃったのか。

幸い地上に出たら一台タクシーあり、運転手に行先を告げると「100元でどうだ?」。

普通に行けばずっと安いのだろうけれど、もうこれ以上歩くと、ムムムなので、OK.

 

帰って11時半。

ずっといろいろ、能のことや芝居のこと、中国のこと日本のこと、榮夫先生のこと、お話もして、面白い遠足でした。

信さんが「榮夫先生に今回のものは見ていただきたかったな」と。

 

さて、今朝は元旦。

先ほど信さんのお部屋で、お屠蘇とお餅の入ったお雑煮頂いてきました。

新年好!

 

さて午後は信さんのワークショップが2時から劇場の前の部屋であり、私と徐思桂も参加。

こちらはお休みなのかどうか? まあ本来は旧正月でしょうが。

10名の参加者で、今日から4日間、私たちがトップバッターでコンテンポラリーの松島さん・バリ・シンガポールからの出演者がそれぞれ。

今日は、能と昆劇の歩行を見せて、参加者にも歩くことを主にやって何かみんなで作品をとのこと。

信さんのワークショップ、楽しい展開で、とっても今後の参考に。

 

そして、夜リハーサルがあると思っていたら、それは明日本番前にとのこと。

ああ、ちょっと気持ちが楽に。

 

昨日読みかけた網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす』に、

「…これまでよく知られている水墨画のような絵画や茶道、築庭などだけでなく、

能楽にもつながるような新しい芸能を中国から持ち帰り、伝えた禅僧もいたようであります。」という部分あり。

昨日も香港の卓さんと能の起源や、中国の芸能との関係を話していたのだけれど、その禅僧のことの記録はどんなのだろうか?

 

さて、その次の章、「穢れ」の話になり、正月にどうか…?ではあるけれど読み進めよう。

網野さんには、「地照舎」をやっていた時に、「市」のお話をしていただいたことあり。

もう亡くなって10年になるのか。

同じく地照舎でお話を伺った谷川健一さんも去年亡くなった。

谷川さんには「万葉集を勉強しなさい」と言われたけれど、なかなか。

今回、漢詩を読んでみて、「面白い」!

万葉集を読むにつながれば、なお「好!」ですね。

 

さすがに今日の上海は車も少なく、煙霧も薄いようだ。

ホテルの下の八百屋さんでみかんを売っている兄ちゃんの売り声が時々響く。

 

改めて、「新年好!」

posted by しみかん at 12:24| 日記