2015年09月24日

しみかんの八王子日記 ?

9月20日

朝焼けが始まっている。
点滴のせいで、夜中に何回かおしっこに起きる。
21:00 200cc
23:40 510cc
02:50 350cc
04:50 220cc
毎回の珍道中。
朝焼けが場所を変えて収まっていく。

悪寒の時以外はだいたいタオルケットで寝ているが、
最終回はふとんをかけて寝てみたら、暑くなって起きてしまった。
おかげで、夢の中で出てこなかったそのお名前をふと思い出した。
フランスの名優ジャン・ルイ・バローさんの奥様で女優のルノー・バローさん!

寿夫先生とバローさんが、青山テッセン会の古い舞台で立ち会いのワークショップをやった時、
ご一緒に劇団公演の為来日されていて、その公演をご覧になった寿夫先生がルノーさんのことをとても褒めていらした。
きっと華奢で美しい人、そしてフランス語の演劇の真を持った方だったろうと思う。
拝見したかった。

しかし、寿夫と対して、あのたくましいバローさんが、映画「天井桟敷の人々」の中で、
あんなに繊細な道化を演じていた人とは、とても思えなかった。
しかもあの映画は1945年に撮ってる!
(日本は!️)

能役者観世寿夫の完成に、若き日にバローさんのところに行っていた半年間がとても大事な時間であったということを、ご自身はあまりおっしゃってないかもしれないけれど、もっと考えていいのではないだろうか。
「イヨネスコ」とか「グロトフスキ」とかおっしゃった時の、確信を持ったその口吻。
実際にギリシャ悲劇からベケットの上演、早稲田小劇場の舞台参加に至るその道。
しかし、寿夫先生が何十年も前に書かれたことが、まだ現実のことである悲しさよ。

暮れの12月のテッセン会の申し合わせの後、寿夫先生は皆を集めて、
・健診で、貧血からガンが見つかったこと
・来年1月2月岩波ホールでの早稲田小劇場の芝居に出ることになっていて、辞められないけれど、それをひと月にしてもらって、それから手術をする
とおはなしになった。
それから約一年のお命だったが、寿夫先生は末期の病床でも痛み止めを拒否されたと聞く。
そして、能役者としてもう舞台に立てなくても、若い人の稽古はできるよね、と弘子夫人におっしゃったという。

医術は進化して、今回の手術で私は、本当の堪えがたいひどい痛みというものを感じるはなかった。
若い人の稽古はしたいしね、せめて一人の役者としても舞台に立ちたいと思う。
そのために、何から?

おしっこが、フランスに、ほとんど何も知らないフランスに、思いをいたらしめてくれたな。
日本が、今どうなっていることか、これさえわからないけれど。

朝は明けた。6:21


9.24 追記 かみさんが、平凡社ライブラリー「観世寿夫 世阿弥を読む」荻原達子編 を持って来てくれたので、年譜を確かめると以下の如し。

1962年(昭和37) 37歳
4月 フランス政府招聘日仏演劇交換留学生第一回生に選ばれ、渡仏、半年間に亘ってジャン= ルイ・バローのもとに学ぶ。パリのオデオン座ほかで数回に及ぶ能の研究会をもち、「善知鳥」を舞う。フランス演劇の古典や現代の作品にじかに触れ、演劇はもとより音楽、絵画など芸術関係の人達との交流を深め、欧州諸国を巡って12月末日帰京

1977年(昭和52) 52歳
5月 日仏演劇協会主催、渡辺守章構成のシンポジウム「演劇作業の根拠」でジャン=ルイ・バローと演技の交換。

また、ことのついでに、留学近辺の年譜を見れば
1960年(昭和35) 35歳
5月 ジャン=ルイ・バローとテアトル・ド・フランス一行のために「半蔀」。
(ちなみにこの年は、「水の曲」(武満徹作曲)・「兵士の歌」(ストラビンスキー作曲)・「蜘蛛」(福島和夫作曲)の作舞・出演あり)
1962年
3月 観世寿夫フランス留学歓送会が国際文化会館で催される。
1963年
2月 華の会と日仏演劇協会主催による「観世寿夫氏の帰朝報告会」が日仏会館で催される。
4月
NHKラジオ・教養特集「現代海外演劇の動向ーフランス編」の座談会、出席は岩瀬孝・小沢栄太郎・渡辺淳・観世寿夫
11月
ユネスコ主催の国際演劇祭東西合同シンポジウムに「猩々乱」、イヨネスコ観能、終演後オラジオ・コスタらも加わり会食。
1965年
5月
国際芸術家センターと日仏演劇協会主催のコメディー・フランセーズのメンバーと日本の演劇人との懇談会に出席。

少し離れて、グロトフスキーの訪問を受けたのが、1973年。
その間に1970年に《冥の会》結成し代表者となる。当初の同人は天野二郎・石沢秀二・観世静夫・観世栄夫・観世寿夫・関弘子・野村万之氶・野村万作・早野寿郎・藤波与兵衛・宝生閑・森塚敏・山岡久乃・山崎正和・山本則寿・渡辺守章。翌71年に初公演「オイディプース王」(ソポクレス作・山崎正和潤色・観世栄夫演出)、オイディプース王の役。
(フランス留学から冥の会まで実は8年しか経っていなかった!
「オイディプース王」は砂防会館で8月だったかな。栄夫先生の受付あたりで、ウロウロニコニコしている姿も思い出される。)

そして、
1978年(昭和53) 53歳
1月 岩波ホール演劇シリーズ第3回公演、エウリピデス原作、松平千秋翻訳、鈴木忠志演出「バッコスの信女」のディオニュソス。・・・25日虎の門病院に入院。
9月 虎の門病院に再入院。『新劇』10月号より「心より心に伝ふる花ー能の現象学」連載、1979年1月号が遺稿。
12月 7日午前11時24分永眠。


八王子から飛んでしまって。
間も無く、消灯になってしまう。
回廊を歩いてこよう。9.24 20:38




iPadから送信
posted by しみかん at 20:39| 日記