2013年11月17日

猿楽町CG 原民喜と能楽

11月14日朝8:15、原爆ドームの傍らに立つ。

少し離れて、小さな原民喜の碑あり。

交差点近くに、猿楽町の説明版もあり。



碑銘は、

『 遠き日の石に刻み 

  砂に影おち

崩れ墜つ 天地のまなか

  一輪の花の幻

         原民喜 』



1974年8月の広島平和音楽祭で観世榮夫が、

この碑詩や『水ヲ下サイ』、『日ノ暮レチカク』などの詩で構成した「詩と囃子によ
る『原民喜の詩集』」を上演している。

出演は、観世寿夫・観世榮夫・観世静夫・浅見真広

    寺井政数・北村治・亀井忠雄・金春惣右衛門の諸師。

紋付袴姿だが、きちんとした効果的な所作で、すばらしい演奏、謡の力!



伊藤整が原民喜宛てに出した手紙やはがきが、JHQの検閲にあった手紙の例として、
原爆資料館に展示されている。

検閲済のスタンプが押されている。

葉書の表が「千代田區神田神保町三―六 

能楽書林

       原民喜様

          日野市柴山六の六十七

                 伊藤整」

手紙の表が「東京都千代田區神田神保町三―六 

         三田文學編集部内

原民喜様」



原民喜

1905年11月15日生まれ。慶応大学文学部に学び、妻貞恵さんが1944年9月に亡くなっ
た後、広島に帰郷、原爆に会う。

戦後また上京して、能楽書林(現在も能楽タイムスなどを発行)の中におかれた三田
文學編集部で編集に携わる(1949年いっぱい)。

小説集『夏の花』を、1949年2月に能楽書林より刊。

社長の丸岡明さん宅にもしばらく住んだらしい。

丸岡さんの『贋きりすと』は原民喜をモデルにしているという。

1951年3月13日吉祥寺と西荻窪の間の線路に身を横たえ、命を絶つ。

命日の3月13日を『花幻忌』。



たぶん観世榮夫はその能楽書林で何回か原民喜に直接会っているのだろう。





「猿楽町のこと」などは、すみません、また書きます。

爆心地は猿楽町に隣接する元細工町、現在の島外科内科あたり。

行ってみてください。



他にも今回の広島行、出会いや遭遇あったのです。

またきっと近々に行くことに。

でもちょっと部屋の中、かたずけなくちゃ。

今日は田中泯さんが、セシル・テイラーさんのピアノで踊る!

赤坂の草月ホール。



草月は実はいつか幽霊が出ると言って、観世榮夫が『融』の能を奉げたところ。

まあ、それ以来は出なくなったのだろうね。

今日は楽しみ、わくわく。



ブログに投稿すると行替えがどうなるかわからないのですが、とりあえずやってみま
す。
posted by しみかん at 11:25| 日記

2013年11月05日

鮭の遡上、はかなき

久しぶりに岩手県大槌に行き、新しい出会いいくつか有り、また旧知の方々の笑顔嬉しく、帰りの新幹線、一人乾杯を重ねる。
小川旅館さんに阿部首相夫人前日お泊まりとか。小川夫妻、知らずに泊めて、出発の時に「あら、もしかして!」
いい旅館です。

大槌川、小鎚川の橋の上から、鮭の遡上をしみじみ見る。 傍らにはすでに命を終えたるも有り、産卵したる様子に小さき魚達寄り来るも有り。

今日は朝日の出より朝食まで歩きたるは、旧町役場の慰霊台より、旧大槌駅から山田線(今も地図にはあるけれど)線路跡。
説明無しでは初めて来た人はわかるまい。蒲が周りに茂っている!
昨日、盛り土するために墓の骨を拾い上げている江岸寺の住職が、子供の頃、怪我したら蒲の穂をつけてみたけれど、と言っていたけれどね。

鮭は、生まれた川の匂いを覚えていて、その川に戻って来るという。さて来年再来年どうなりますか?
鉄道の何もなくなった大槌(橋脚は少し残っている)どうなりしますか?

私にしては珍しくいくつも写真取りましたが、アップできません。
福島通過。
posted by しみかん at 21:45| 日記