2013年06月29日

『柏崎』で息子や師匠たちに会う。シンガポールでの柏崎もあったんだよ。

今日は法政大学のエクステンション・カレッジの新・能楽講座『柏崎』の最終回。

宮本圭造法政大学准教授の進行で私もお話。



思い出してみれば、学生時代に銕仙会での寿夫先生の『柏崎』に圧倒されたことあ
り。

すぐ後に、日本女子大能楽研究会(師匠は野村四郎師)の人から、「今度舞台に出す仕
舞に何かいいのはないでしょうか?」と聞かれて、

『柏崎』!と言ってしまい、その地謡を謡う羽目に。いや、学生には難しかった。無
理だったね。

しかし、それが能をやろうと思った底辺の意識につながっていたかなと、今日初めて
思った。

そして、それがシンガポールにつながっていたとは。



柏崎には高校時代、友人の広瀬君の故郷とて一緒に各駅停車で行ったことあり。

そうだ、日本海を始めて見たのだ。

彼は慶応に行って三田文学の編集室にいたり、ジャズバンドでトロンボーンを吹いて
いたりしたんだな。



『柏崎』の舞台は、柏崎と長野の善光寺。

NHKの番組で、柏崎から善光寺へ向かうシテと、内陣で舞を舞うシテを撮影したこと
あり。

海辺を歩いていたのが西村高夫さん。

信濃川の河畔と善光寺の参道を歩いていたのが私。

(この撮影の時、鬘を忘れた人がいて困った。)

内陣でクセの部分を舞ったのは浅見真州さん。

このビデオも少し見ていただいた。



『柏崎』は世阿弥の自筆本が残っていて、それで上演したこともあり、それには何回
かかかわっている。

間狂言が入り、後のシテとワキツレとの会話が少し変わり、子方の言葉やシテの舞が
入る。



今日、宮本さんが用意されたビデオは野村四郎さんがおシテで、やはり自筆本によっ
たもの。

後見が故観世榮夫先生と私だった。

地謡に故観世銕之亟先生。(副地が観世清和師)

笛、故一噌幸政師。

小鼓、故北村治師。

大鼓は柿原崇志師。(一昨日も松田弘之さんと柿原先生いいよね!)



そして、子方が、清水蓮太郎!

前回のこの講座では講師の伊海さんが複曲能『刈萱』のビデオをかけられたが、その
子方も蓮太郎だった。

やあ、今現在チリの山奥にいる蓮太郎さん、毎週会いますな。

『柏崎』でも最後には息子に巡り合うことになっているからね。



帰りに市ヶ谷の土手を歩きながら、・・・。



ああ、言うきっかけがなかったのだが、

昨年のシンガポールでのクオ・パオクン作『霊戯』(佐藤信演出)公演の中で、

世阿弥が挿入したというこの『柏崎』のクセを、

はじめの部分だけだが、私は自分で謡いながら動いている。



従軍記者の役。

故郷の母に別れを告げて、南方の前線にやってきた。

はじめは戦争鼓舞の記事をどんどん書いたが、やがて何も書けなくなる。

そして、霊となってシンガポールにとどまり、同じく霊となっている将軍に問いかけ
るのだ。

「あなたはまだ日本が勝ったと思っているのか?!」



「悲しみの涙、眼にさえぎり、思いの煙、胸に満つ。

つらつらこれを案ずるに、三界に流転して、なお人間の妄執の、

晴れがたき雲の端の、月の御影や明きらけき、真如平等の台に、

至らんとだにもなげかずして、煩悩の絆に結ぼおれぬるぞ悲しき。

罪障の山高く、生死の海深し、いかにとしてかこの生に、

この身を浮かめんと、実に嘆けども、人間の、身三口四意三の十の道、多かりき」
posted by しみかん at 23:02| 日記

2013年06月26日

かなかぬちの稽古場 佐藤信さんや田中泯さん、そして観世寿夫に

中上健次作『かなかぬち〜ちちのみの父はいまさず〜』の稽古に参加している。

本番は7月12日〜22日、新宿花園神社境内にて。

外波山文明さんの椿組http://homepage2.nifty.com/tubakigumi/index.htm

 

私は、芸能集団、ことにその中の申楽者「花若」の謡・所作の担当。

1986年の熊野での公演以来。

そうか中上健次没後20年か。

花若を演ずるのは下元史朗さん。熊野以来。

 

昨日、吉祥寺のその稽古場で、この中上健次の戯曲の載った雑誌『新劇』昭和54年7月号を見つける。

 

戯曲が3本。

別役実  『小さな家と五人の紳士』

岡部耕大 『松浦今昔物語』

中上健次 『ちちのみの父はいまさず』

 

「初日」写真に、68/71黒色テント『ブランキ殺し上海の春』佐藤信演出。

「白水社の新刊案内」に、『心より心に伝ふる花』観世寿夫著。

 

寄稿に、「観世寿夫と現代演劇」土屋一朗。

少し抜書きを。

 

「昨年の712に日に観世寿夫は能『通盛』を大阪大槻能楽堂で舞った。

それが寿夫最期の能であった。

・・・

 

銕仙会は寿夫の能とその思想のもとに、

現在の能の中にあってもっとも豊かな表現力を備えた演能集団へと成長した。

・・・

 

寿夫の足の運びや舞の素晴らしさは観客の身体感覚を刺激する。

それは観客のうちに存在する劇的なるものへの可能的感覚を呼び覚ますのだ。

なぜこのことが可能となったのか。

それは寿夫の身体感覚が観客の視覚の対象として定位されているのではなく、

観客をも包み込んでいる空間との抵抗体として動き、

その抵抗が観客によって触知されるからだ。

田中泯のハイパーダンスが、筋肉の連動作用を起こし、

空間を通して空間を共有する交感世界をつくりあげていくのと、それは同じなのだ。

寿夫は、自分自身、ジャン・ルイ・バローやマルセル・マルソーへの共感を表明していたが、

寿夫の能は、これらの演戯者のパントマイムが示す、ものと観念の散文的模倣とはまったく異なる次元にあった。

その能の基礎には、人間の身体感覚や可能的感覚を呼びさまして、むしろ、知性への惑溺から人々を解放する開かれた感覚の領分があった。

・・・

 

能『通盛』を銕仙会における最期の舞台として、橋掛かりから幕へ消えたままに、寿夫は我々のまえから去った。

だが、・・・

 

俳優はいかににしてこの演劇の空間と関わるのかを寿夫が問いつづけていたことを想い起す時、

観世寿夫という特権的身体は、能にかぎらず、演劇の問い直しの場所で、常に、人々の記憶のうちへ甦ってくるにちがいない。」

 

まあ、これだけではわからないところあるし、

・・・の中には、きっと筆者が書きなおしたいところもあるに違いないし・・・。

 

先ほど、ある人に問われた。

「能を演ずるのに大事なのは技術ですか?人となりですか? やはり、両方でしょうね?」

「やはり、きちんとした技術をつかむにも、大事なのはその人の思想だろうね。」

posted by しみかん at 00:11| 日記

2013年06月09日

遠野物語!赤ワインで、榮夫先生に「献杯!」

[2013年6月8日]

遠野物語!

南に帰る新幹線。
途中一ノ関あたりすごい雨。

さっき釜石線に乗っていたら、遠野から、
このところ会いたいと思っていた民俗学の赤坂憲雄氏が。
お互いに、「あっ!」

かつて「地照舎」という会を始めるとき、新進の研究者だった彼(たぶん同年)と会った。
やがて彼は東北芸術工科大学で「東北学」をすすめ、最近学習院大学教授に移られたとはきいていた。(福島県立博物館館長・遠野市立遠野文化研究センター所長もなさっているとのこと。)

東北芸工大で能を舞っていた観世榮夫の、今日は7回忌の命日。 
赤坂氏はその能舞台での企画も担当していた。
榮夫先生が遇わせてくれたのか。

赤坂氏と久しぶりにゆっくりお話しした。
彼は福島の炭山師の息子で、私はチリの山師の父。

大槌から今日帰って、明日の仕事を終えてその足でまた花巻まで行って、あさってから大槌の三日間始まる。
少し厳しい日程だったが、今回打ち合わせに行って向こうでも成果あり、また赤坂氏に会うということもあり、行ってよかった。
東北にまた縁が深まった。

さて、10日からの大槌プロジェクト、きっといいよ。
赤ワインで、榮夫先生に「献杯!」
posted by しみかん at 21:16| 日記

2013年06月07日

桜坂劇場も観世榮夫につながっていたのか

北へ向かう新幹線車内。

 

「成長戦略」に入れてもらいたいこと

その1 里山の

竹の有効利用。

その2 電線の完全地中化。 

*日本の空が広くなる!  

*雇用が拡大!

 

二三日前に那覇の桜坂劇場からファンクラブ会報が届いていた。

(会員にはなったけれど、沖縄行の予定がどんどん削られて…)

今月は若松孝二監督の追悼。

若松監督はタクシーにはねられて亡くなった。

若松監督、中上健次原作の『千年の愉楽』と、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』。

 

『千年の愉楽』はかつて田中泯さんの白州の演劇祭で上演され、

「オリュウのおば」役は観世榮夫師で、泯さんがあれはすごかったと。

残念ながらその場面に遭遇していない。

 

4日に泯さんのplan-B30周年記念の泯さんのソロダンスあり。

師・土方巽の延々としゃべる録音のレコードと、ビートルズ!のCDを自分でかけて、襤褸のような着物とそれを脱いで半裸でおどる。

 

泯さんのところで今ソロダンサーとしてあるいは助手として活躍している石原淋さんは『千年の愉楽』の時が初舞台だったそうな。

その時は中上健次も白州に来ていたそうな。

 

 

明日が観世榮夫没7回忌の命日か。

 

『旅芸人の記録』は、結婚前にかみさんと岩波ホールで見た。

もう30年以上前。

じっとたたずむ旅芸人たちの映像がよみがえってくる。

あの若松監督はこの映画をこのんだのか。

 

高校時代によく一緒だった広瀬君と映画を見るとだいたい最前列に近いところで見たので、

その時も前のほうで見ていた。

上映時間は4時間くらいか、長い上映が終わって後ろの方を見たら、

そのころかみさんが所属していた「転形劇場」のメンバーが何人もにやにやしながら座っていた。

「あ、見つかった。」

「転形劇場」の太田省吾さんもすでに亡くなってしまった。

 

昨日の「世阿弥を読む」第4期『申楽談儀』では、まず世阿弥が田楽・猿楽両方の先人たちのことを語る。

 

もっともっと、榮夫先生からいただくべきものがいっぱいあった。

今からでも手立てを作って、と思っているが・・・。

 

今日は梅雨空。

青さの増した早苗の田圃と、麦の秋。

『旅』を続けよう。

posted by しみかん at 11:13| 日記

2013年06月02日

102歳山本フチさんご葬儀

山本東次郎・則俊師の御母堂山本フチさまのご葬儀・告別式。

中野坂上、宝仙寺にて6月2日午前10時開式。

 

101歳と7か月とか。

安らかな、優しい、美しいお顔。

 

かつて銕仙会建替えで杉並能楽堂にて稽古の折、時おりお目にかかった。

そのころのような若々しい慈悲の観音様のような。

 

東次郎師がご挨拶にいくつかの思い出を語られる。

東次郎氏7歳の折、昭和20年2月、空襲で爆弾の降る中、父親の厳しい稽古があり、

終わって、母親が、蒸かしたまんじゅうをかじかむ手に載せてくれた、その温かさのこと・・・。

 

東次郎師・則俊師始め皆様で『祐善』の謡を謡いながら、棺を霊柩車に運ばれた。

 

「…今会い難きみ法を会下傘 弘誓の船に半帆を上げて 蓮の花笠はすの葉かさを

  さしはりてゆく程に これぞ誠の極楽世界 これぞ誠の極楽世界の

  あみかさや南無あみかさの ほのかに見えてぞ失せにける」

 

合掌。

 

(『祐善』の詞章は狂言集成から引きましたので東次郎家のものは少し違っているかもしれません。)

posted by しみかん at 13:52| 日記