2020年03月29日

「座談会へどうぞ」銕仙11号より

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座談会へどうぞ
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A O 生
千秋楽がすみ、囃子方が幕の彼方へ姿を消すや否や立ち上り「ええ今日も例のように脇正面で座談会をひらきますから」と呼びかけるのが銕仙会の日の私の任務である。別に頼まれた訳でもないが、他に大声を出してくれる人も居ないのでいつの間にか私の仕事になってしまったのである。
この座談会は特に支障の無い限り会がすんだ後一時間位行われている。
寿夫、静夫両師を中心に当日の能についての感想、批評がとり交され、見所からの不満や演者の弁解やらが持ち出される。今迄のところ若い人が多い丈に“結構でした”としか云わぬお弟子さん方とは違いかなり生意気な意見がはかれている。通ぶった見方よりは生硬な未熟な見方の方が幅をきかし常連よりは見始めの人の感想が尊重されて居り、そしてそのことがかえって寿夫さん、静夫さんの参考になっているらしい。
一体能のお客さん程おとなしい観客は無いのではなかろうか、高い会費を払い乍ら演者が失敗しようが、謡を間違えようが平気であり、いかにも満足したような顔で帰ってゆく。演者の方でもさぞ張り合いが無かろうと思う。不満があったら演者にぶちまけ、うまいと思ったらほめてやり、疑問の点は資してみるのが観客の権利ではあるまいか。寿夫、静夫両師の希望ではじめられた銕仙会の座談会はその意味からも良心的な結構な企てであると云うべきだろう。
学生会員の皆さん、能のように奥が深く、いろいろの見方があるものほど意見の交換がお互いの勉強になるのではないでしょうか。適當に満足して帰ってしまう人々の真似をすることなく、是非座談会へどうぞ。
若くない会員の皆さん、若い者が生意気なことをと御立腹の前に、一度座談会に御出席下さいまして若い我々を啓発して下さい。
殊に三月は、寿夫、静夫両師の出演ですし、暖かくもなりましたから座談会には理想的な月であると思います。銕仙会の座談会を一層意義あるものとするために、銕仙会を、能を愛する人々が大勢御参加下さいますようお願いします。

ーーー昭和28年3月8日発行「銕仙」11号 編集兼発行人 観世静夫

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毎月の定期公演ごとに発行されているパンフレット「銕仙」が先月700号を迎えたのを記念に先号から創刊周辺からの記事を載せています。今回3月定期公演701号は上のAO生さんが記した座談会へ参加の呼びかけの再録でした。多分このAO生は故表章先生(1927〜2010)。当時25歳でしょうか。高校で教えてらした生徒さんたちが銕仙会を見た感想文も第5号に載っていて、これも今号に掲載されています。表先生は大きなお声で、講義をお聞きしても論理の鋭さ相まってかなりの迫力でした。銕仙会の学生会員、私が学生で見ていた頃(1971〜75)は、年間会員クーポン制で多い時は一回に100人くらい並んでいました。青山能の前身青山研究能の時も終演後座談会をやったことがありました。お客様と真摯で突っ込んだやりとりをしたいですね。 2020/3/14 清水寛二


実際には載っていなかったようですので、再度送ってみました。3/29
posted by しみかん at 13:48| 日記

2018年10月10日

1978年 観世寿夫の『二人静』と『芭蕉』

久しぶりの投稿。

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銕仙会能楽研修所 昨夜の鏡の間 (橋掛に向かって)

昨日、お弟子さんに『二人静』の謡の稽古をしていて、ふと思い出した。
そうだ、寿夫先生が亡くなる年に『二人静』をなさっていた!
銕仙会の機関誌「銕仙」を確かめてみたらやはりそうだった。
1978年1月18日。
この年は水道橋の能楽堂が工事中で梅若の能舞台を使って三日公演をやっていた。
『二人静』に『国栖』という吉野の能で組んだ番組だったんだ。
研究・十二月往来は表章先生のご寄稿。

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『二人静』を「立出之一声」の「小書」(替の演出)にて、常はツレである菜摘女を観世静夫(八世観世銕之丞)、常はシテである静御前の霊をツレとして観世寿夫が。この時は、後の場面で静御前の霊が登場しない大胆な演出だったと思う。
ちょうどこの1月、寿夫先生は、岩波ホールでの早稲田小劇場の『バッコスの神女』(鈴木忠志演出)に出演されて、そしてそのあとすぐに入院して胃がんの手術だった。

来年の銕仙会1月定期公演で私は『二人静』を、その時の演出とはだいぶ違いますが同じく「立出之一声」の小書で舞います。

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またその1978年、前年度発表された予定では、寿夫先生は、12月6日と8日に『芭蕉』を舞う予定でした。しかし、「順調な経過」のはずが、やがて再入院され12月7日に亡くなられて、この二日『芭蕉』は叶いませんでした。

今年12月の「青山実験工房」では、6日に『井筒』を、8日にその『芭蕉』を、まことに畏れ多いことながら、舞わせていただきます。(7日に『中有』と『雪はふる』)

2019年銕仙会定期公演予定

第二回青山実験工房

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観世寿夫『井筒』(吉越立雄撮影) 銕仙会能楽研修所二階ロビー
posted by しみかん at 16:22| 日記

2018年07月30日

ウェブサイトが閲覧できないことについてのお詫び

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大変申し訳ございませんが、復旧まで今しばらくお待ちくださいませ。
清水の活動報告や公演情報を楽しみにしてくださっている方にはご不便をおかけいたしますが、facebookは情報を更新いたしますので、どうぞこちらをお楽しみにお待ちください。

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Office Shimikan事務局
posted by しみかん at 21:30| 日記

2018年02月17日

申楽乃座 自然居士 樋口陽一さんの寄稿

image1.JPG申楽乃座 1991.8.3
「反核・平和のための能と狂言の会」
狂言『蚊相撲』 能『自然居士』

武満徹さんの寄稿を先日ご紹介しましたが、今回は樋口陽一さんの寄稿をご紹介します。

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「湾岸」での「戦勝」を祝って、ニューヨークの目ぬき通りに紙吹雪が舞う。だが、能は、けっして、戦争をそのように見てはこなかった。
修羅の苦患のカケリ。『朝長』の救いのない最期。勝修羅の『屋島』も、朝あらしの空しさに勝者の孤独をえがくことで終わる。それに、『藤戸』があった。勝者のうしろめたさ、やましさから目をそらすことを許さない能。ー能が武家貴族社会の式楽だったことを思うと、私は、彼らの戦争観がみごとなまで複眼的だったことに感動する。
「冷たい戦争」が終って、かえって、熱い戦争が噴き出した。栄光の凱旋将軍たちは、いま、無数の『藤戸』の老母たちのことに、すこしでも思いをめぐらそうとはしていない。そんな世界のなかで、いま、日本人ひとりひとりの生き方が問われている。反核・平和へのよびかけが、能のこころと深いところで結びついて、世界じゅうに、それよりさきに日本社会のすみずみに、ゆきわたってほしい。無法ものはすぐにはいなくならないだろう。しかし、というよりはだからこそ、『自然居士』の喝食(かっしき)のおもて(面)と舞から、捨て身で人を救けようとする平和への信念と智慧の大切さを、私は読みとろうと思う。 樋口陽一
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『自然居士』
親の追善のために自らを人買いに売り、それで得た小袖を供え物として、雲居寺造営のための説法をする自然居士に捧げた少女。彼女を救うため自然居士は、東国へと向かう人買いたちを追いかけ、琵琶湖湖畔の大津にて、追いつき「その人買い舟」と呼びかけます。観阿弥作
posted by しみかん at 10:51| 日記

2018年02月15日

申楽乃座 自然居士 武満徹さんの寄稿

image1.JPG申楽乃座
1991年8月3日の公演は、「反核・平和のための能と狂言の会」
I部 狂言『蚊相撲』(野村万作)と能『自然居士』(観世銕之丞ー八世)
II部 狂言『蚊相撲』(野村万之丞ー現野村萬)と能『自然居士』(観世榮夫)
でした。
(なお、この時の『自然居士』の子方は、清水蓮太郎と清水麻耶でした。)

この時のパンフレットに武満徹さんが寄稿をされていますので、ご紹介いたします。
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今日、人類が核を保有する限り、私たちは真に解放されることは無い。たえず潜在的な危機感に脅かされ、無力感にとらえられる。日本は、表面的には、繁栄の賑わいをみせているが、それがなにか底浅いものに感じられるのは、政治があまりにもアメリカの強い影響下にあって自主性を失っていることと、私たちに潜む、核に対する危惧に由来しているからだ、と言ってもいい。よもや核戦争は起こるまいとは誰しもが重いながらも、そうした安心感すらもが核によって保たれているのだとすれば、あまりに心許ない。やはり核は、この地上から廃絶されなければならないのだ。だが、あるひとたちはそれを現実性を欠いた考えだと言うだろう。しかし、核に対する惧れは、知的に理解されるというようなものではない。それはより本質的な、感じるこころの営みであり、愛に外ならない。
敬愛する申楽乃座の先輩や友人たちが、感じるこころを失わずに、けっして大声で叫ぶのではなく、反核と平和を祈念して公演を続けられていることに、音楽に携わる者とし私は勇気づけられ、私も同じように進みたいと思う。 武満徹
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当時の申楽乃座の同人は、一噌幸政・観世銕之丞・観世榮夫・野村万作・野村万之丞・宝生閑・荻原達子。
この日のパンフレットには、樋口陽一さんも寄稿されています。次回ご紹介いたします。
posted by しみかん at 21:41| 日記